【中田翔】

 

北海道日本ハムファイターズ #6
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2015年5月31日
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 広島県広島市中区
生年月日 1989年4月22日(26歳)
身長
体重
183 cm
100 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 左翼手、一塁手
プロ入り 2007年 高校生ドラフト1巡目
初出場 2009年5月23日
年俸 2億円(2015年)
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
  • 大阪桐蔭高等学校
  • 北海道日本ハムファイターズ (2008 - )
国際大会
代表チーム 日本の旗 日本
WBC 2013年

 

 

【経歴】

 

①プロ入り前

 

広島市竹屋小学校3年から広島鯉城リトルで捕手として野球を始める。

二学年上の松下健太とバッテリーを組んでいた時期もある。6年時に投手に転向。

広島鯉城シニア時代は連盟記録となる通算51本塁打。投手としても141km/hを計測した。

中学3年時に日本代表入り。エースで4番を務め、アメリカ遠征で4本塁打を打ちMVPに、世界大会準優勝の原動力となる。

広島で過ごした少年時代は、当時の広島市民球場でプロ野球選手になる夢を抱いたカープファンだった。

 

 

中学時代に大阪桐蔭高校の西谷浩一監督に入学を誘われ、同校に進学。中田が活躍したことで大阪桐蔭は大阪だけでなく、各地の有力選手が集まるようになった。

1年夏には五番・一塁手でレギュラーとなり、2005年の夏の甲子園ベスト4に貢献、また投手としても最速147km/hを計測。

秋からはエースで四番を任され、2年春には151km/hまで球速が伸びた。

2年時は肩の故障で投手としては活躍が出来なかったが、四番・右翼手として出場し、打者として大阪大会新記録となる4試合連続本塁打を達成。

甲子園では推定飛距離140m弾、更に秋季近畿大会準決勝で推定飛距離170mの本塁打を打つ。

この頃から「平成の怪物」と呼ばれるようになる。

3年生時の7月6日、全国高校野球大阪大会直前の練習試合で当時の高校通算本塁打の新記録となる87本目の本塁打を記録。

甲子園では、歴代7位となる4本塁打を打った。

 

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中田翔 高校時代 甲子園での2打席連続ホームラン - YouTube

 

 

②プロ入り後

 

2007年10月3日のドラフト会議(高校生対象)においては、佐藤由規、唐川侑己と並んで「高校ビッグ3」と呼ばれ、4球団から1位指名を受けた。

抽選で交渉権を獲得した日本ハムに入団。11月6日、高校新人としては史上5人目となる契約金1億円、出来高5000万円、年俸1500万円(推定)で契約

背番号は同年オフに現役引退田中幸雄の「6」を引き継いだ。

 

 

▶︎2008年

守備位置は高校時代の投手と外野手ではなく、三塁手を志願し球団の育成方針とも一致したことから三塁守備での練習を始める。

しかし、オープン戦から木製バットへの対応に苦しみ、開幕を二軍で迎えた。6月に左手首を骨折。(全治1カ月)

打撃フォームも固まらず、二軍で11本塁打を記録するも打率.255に終わり、一度も一軍に昇格することはなかった。

 

▶︎2009年

3月、三塁手としては使えないと判断され、一塁手に専念。

5月、二軍の好成績が評価され、初めて一軍に昇格。5月23日のヤクルト戦で七番・指名打者としてプロ初出場プロ初安打を記録。

交流戦後終了後に二軍へ降格。7月23日のフレッシュオールスターゲームではイ・リーグ選抜の四番に座り、2安打2打点でMVPを獲得。

同リーグ史上最多のシーズン本塁打30と史上最多タイの打点95を記録し二冠王と獲得、打率.326でリーグ2位と好成績を残し、プロ野球コンベンション2009にて特別賞を受賞した。

シーズン終盤に故障車が続出し、再び一軍に昇格、9月27日に犠飛でプロ初打点を挙げた。

一軍での出場機会を増やすため、シーズンオフより外野手へ転向。(登録は内野手のまま)

 

▶︎2010年

開幕戦で七番・左翼手として自身初の開幕戦先発出場を果たし、杉内俊哉から自身初の2点適時打を打つ。

その後も主に相手先発が左腕投手の試合で先発出場し、左翼手の守備も無難にこなしていたが、4月18日の試合を最後に二軍落ちする。

その3日後の21日の二軍の試合で左ひざ半月板を損傷、5月10日に手術を受けた。

7月19日に一軍昇格し、翌20日のロッテ戦にも先発出場し、大嶺祐太からプロ入り初本塁打(91打席目)を打った。

夏場には金子千尋、涌井秀章、和田毅、田中将大らエース級の投手から立て続きに本塁打を打った

しかし、9月に入ると調子を落とした。最終的には打率.233、本塁打9、打点22に終わった。

なお、9本の本塁打は7月20日から8月20日までの約1ヶ月間に打ったものである。

 

▶︎2011年

開幕から19打席無安打とスタートに苦しむも後は成績を伸ばした。

小谷野栄一の離脱中は四番打者に抜擢されるなどチームの主軸となり、初のオールスターゲーム出場も果たした。

後半戦は不振に陥り、原因不明のめまいなどに苦しんだがシーズンを通してレギュラーとして起用された。

初の規定打席到達に加えともにリーグ3位となる18本塁打、91打点をマークした。

しかし規定打席到達者ではリーグ最多と1個差の133三振、打率.2371はリーグワースト2位、出塁率はリーグワーストの.283に低迷し、OPSも.700を切ってしまった。

 

▶︎2012年

1月11日に高校の同級生と結婚したことを発表。

キャンプから「ノーステップ打法」を使用するが、開幕から24打席無安打となり、交流戦の頃から足を上げてタイミングを取る打法に切り替え、以後もフォームが定まらなかった。

前半戦は打率1割台と不調だったが、新任の栗山英樹監督はレギュラーシーズンの全試合に中田を四番打者として起用し続けた。

球団として3人目の全試合四番出場となり、優勝チームの全試合四番出場はパ・リーグでは3人目

8月から徐々に調子を上げていき、後半戦は打率.293、14本塁打、OPS.882を記録。

シーズン通算では打率はワースト3位の.239、得点圏打率は.198に終わったが、リーグ2位の24本塁打、リーグ3位の77打点をマーク。

先制打、同点打、勝ち越し打、逆転の殊勲打30本、17勝利打点はリーグ最多と、極端な結果となった。

内容的には前年に比べて三振を減らし、より四球を記録し、リーグ最多得点を獲得した。

また守備面では外野手としてリーグトップの19捕殺(球団タイ記録)を記録し、そのうち9が併殺であり、外野手シーズン併殺数のプロ野球記録を62年ぶりに更新した。

パ・リーグでは23年ぶりの2年連続リーグ最多捕殺を記録。

シーズン最後の連戦で、連敗すれば2位西武に並ばれる9月28日の西武戦では2ラン、3ランを放ってチームの全得点を記録し、リーグ優勝に貢献。

ポストシーズンではクライマックスシリーズ、日本シリーズでも全試合四番として出場する。

日本シリーズでは第6戦にポストシーズン初となる3ラン本塁打を放つが、日本シリーズでは結局この1打席の3打点に終わった。

 

▶︎2013年

2月20日に、第3回WBC日本代表28人に代表入りした。

シーズンでは四番打者として開幕からコンスタントな活躍を見せシーズン途中まで本塁打はリーグトップを走っていた。

しかし、8月21日の楽天戦で死球を受け、左手第5中手骨亀裂骨折と判明し戦線を離脱。

その後のシーズンはほぼ棒に振りタイトルこそ逃したものの、自己最多の28本塁打(リーグ2位)を放ち、前年リーグワースト3位だった打率もリーグ8位の.305を記録。

長打率、OPSはリーグ2位を記録した。シーズン後にはベストナインを初受賞した。

オフの11月には、台湾で行われた「2013 BASEBALL CHALLENGE 日本 VS チャイニーズ・タイペイ」の日本代表に選出された。

 

▶︎2014年

2年ぶりに全144試合に出場し、死球の影響でスタメンを外れた7月の2試合を除く142試合で四番打者として先発した。

内野手登録ではあったが、新戦力として一塁手のフアン・ミランダが加入したこともあり、例年と同じくレフトを守る機会が多かった。

 

 

打率は前年より下落して.269だったが、チームトップとなる27本塁打(リーグ4位)を放ち、2年連続で25本塁打以上を記録した。

また打点では3月・4月で17打点を挙げると、5月から9月にかけて毎月15打点以上を記録し、順調に数字を伸ばした。

9月27日のオリックス戦でサヨナラとなるソロ本塁打を放ち、自身初の100打点に到達。

最終的に2014年のパ・リーグで打点を三桁に乗せた唯一の選手となり、初の個人タイトルとなる打点王を、2位に10打点差をつけて獲得した。

クライマックスシリーズでは、NPBのポストシーズンでの新記録となる4試合連続本塁打を達成した。

オフの10月9日に、日米野球2014の日本代表に選出された事が発表された。

 

▶︎2015年

開幕戦の2月16日に、「GLOBAL BASEBALL MATCH 2015侍ジャパン 対 欧州代表」の日本代表に選出された事が発表された。

シーズンでは全試合に4番として出場

打撃では自身初となるシーズン30本塁打を達成、打点は2年連続100打点以上となる102打点(リーグ2位)を記録した。

守備は一塁手として出場し続け、ゴールデングラブ賞を初受賞。

第1回WBSCプレミア12の日本代表に選出され、第2戦目となるメキシコ戦で本塁打、サヨナラ打を含む5打点、第3戦のドミニカ戦で決勝打を含む3打点と勝利に大きく貢献している。

 

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メキシコに6-5で勝利!中田翔のサヨナラヒットシーン 侍ジャパン・世界野球 プレミア12 日本 - YouTube

 

▶︎個人年度別成績はこちら(2015年度シーズン終了現在)※太字はリーグ最多


 
所属球団
 

 

 

 

 







 

 

 



 

 

 

 

 



 




2009 北海道日本ハム 22 38 36 3 10 2 0 0 12 1 0 0 0 1 1 0 15 0 .278 .333 .289
2010 北海道日本ハム 65 230 210 20 49 5 1 9 83 22 0 0 0 2 15 3 61 8 .233 .395 .291
2011 北海道日本ハム 143 572 527 49 125 32 2 18 215 91 4 0 0 8 31 6 133 12 .237 .408 .283
2012 北海道日本ハム 144 606 547 79 131 25 1 24 230 77 5 4 0 4 50 5 101 8 .239 .420 .307
2013 北海道日本ハム 108 459 407 67 124 14 1 28 224 73 1 2 0 1 45 6 77 11 .305 .550 .381
2014 北海道日本ハム 144 602 531 64 143 18 0 27 242 100 0 0 0 7 58 6 89 12 .269 .456 .344
2015 北海道日本ハム 143 611 539 72 142 26 0 30 258 102 1 0 0 7 64 1 120 11 .263 .479 .339
  通 算 769 3118 2797 354 724 122 5 136 1264 466 11 6 0 30 264 27 596 62 .259 .452 .326

 

【タイトル】

・打点王:1回(2014年)

 

 

【表彰】

・ベストナイン:2回(外野部門:2013年、2014年)

・ゴールデングラブ:1回(一塁手部門:2015年)

・サヨナラ賞年間大賞:1回(2012年)

・「ジョージア魂」賞:3回(2011年度第2回、2012年度第6回、2013年度第3回)

・オールスター敢闘選手賞:1回(2012年第3戦)

・フレッシュオールスターゲームMVP(2009年)

 

 

【中田翔のホームランショー!!!】

 

 

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中田翔 プロ初ホームラン - YouTube

 

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2012 NPB 日本シリーズ G6 中田翔 HR - YouTube

 

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【プロ野球パ】絶賛!称賛!中田翔さん、史上初ポストシーズン4戦連発!3ランHR 2014/10/17 H-F - YouTube

 

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【プロ野球パ】おまたせしました!!中田翔、自身初の30号ソロHR 2015/10/01 F-M - YouTube

 

 

【その他の情報】

 

・2011年まで同僚だったダルビッシュ有と渡部龍一を慕っている。

ダルビッシュからは「日本記録の56本塁打を打つまで認めない」などと叱咤され、ダルビッシュのメジャー移籍後も言葉をかけられている。

2012年には前年に戦力外通告を受け退団した渡部のラッキーカラーである紫色のグッズを身につけて試合に臨んだ。

 

 

・後輩には本塁打数や勝利数などシーズンを通じて目標を設定させ、クリアできればポケットマネーで後輩の希望する賞品(主に高級ブランド品)をプレゼントしている。

これは、かつて稲葉篤紀や高校の先輩である西岡に成績に応じて食事をごちそうしてもらった経験があるからだという。

 

 

・チーム屈指の歌唱力を誇ると言われ、カラオケでの十八番は松山千春の「大空と大地の中で」だという。