トルストイは、人間の価値は「創造」よりも「態度」にあると思っていた人です。
なぜなら「創造」や「体験」は、世の中が平常で、元気な時でなければ実現されることはないからです。しかし、「態度」は、穏やかなときも病めるときも、想いさえあれば発揮することが出来るからです。即ち「所作」を磨くことに通うじて行くと感じます。

その態度の現れである所作で【舞】う事だと思うのです。

jsangjungさんはこう締め括ります。
人生とは、その人生から発せられる問いに一つ一つ応答していく事であり、幸福というのは、其に答え終わったときの結果に過ぎないのだから、そもそも幸福は求めて手に入るようなものではないのです。
だからこそよい未来を求めていくと言うよりも、よい過去を積み重ねていく気持ちで生きていくことが、私たちが個人として生きていく場合の「態度」だと思うのです。
そうすると人を商品化してモノのように扱うような市場経済のあり方や、人を名無し群衆に変えて、公共領域を中抜きしてしまう直接アクセス型社会の問題にも、新たな光が投げ掛けられるはずです。公共領域のみならず、解体しかけている家族や地域といった小さな共同体にも、新たな息吹が生まれて来るに違いありません。その為に「二度生まれ」の人生を、新生した社会のなかで生き延びたいと思うのです。

この「二度生まれ」が死の淵からもう一度、復興ではない新生による「命の光」で、舞ましょうよと言う、僕の僕自身への問いかけに繋がるのです。

その仙骨と尾骨の間の引き下げが、一回死んで、今までの価値を怖いけれども捨て去って生きる事への絞り混む力を与えてくれます。
そして其はお母さんのお腹のなかで逆立ちで、コウモリのようにぶら下がっているときに、一番発揮している力なのです。
そこから生き直さなければ、「二度生まれ」にはならないと感じています。
そして、【舞】の瞬間、振り付けの所作の瞬間の一つ一つを、淡々と積み重ねていく事で、身体に記憶させる躍りかたへの変革が必要だと思うのです。
その為にも「二度生まれ」からの【舞】という、先に見える光に向かって踊るのとは全く違う動きを、僕らは今こそ体感する必要があるのだと確信しています。

此れは時間概念を操れる体にだけ、与えられる【舞】だと捉えています。

明日は具体的に、どのように目標や目的を捨てた上に成り立つ動きなのかを、感じて行きたいと思います。

インデイアンが七代先に繋がっているある一日から今日を振り返ったときにはじめて輝く、「過去を捉える力」こそが、「命の光」だと思います。




Android携帯からの投稿